DIARY 日記・エッセイ

2009年01月17日

[ 私のこと ]

感謝週間

事情があって、
このところ続いた旅が公表できないので、
旅情報に変わり、
しばし、
「皆様への 日頃の感謝週間」と題して、
お世話になっている方々の活動の
ご紹介をしたいと思います。


これをご覧になって下さっている皆さんは、
すでにご存知かもしれませんが、
私は新潟県長岡市で生まれ育ちました。
東京に出てきたのは、
大学に進学するためで、
高校卒業まで長岡にいました。

故郷を離れてからの方が、
故郷を知たいと思う気持ちが高まりました。
暮らしていた時には、
格別、好奇心旺盛に土地を歩いていたわけではないのに、
国内中、世界中、
旅をすればするほど、
好奇心がわいてきます。
それはとても不思議なほど。
多分、自分の価値観を定めるためにも、
自分の立ち位置を確認するためにも、
大切な作業なんだと思います。


さて、先日、
「雪国と温泉展」準備を終えて、
久しぶりに実家に帰りました。

なんの気なしに
長岡駅ビルCOCOLOに入っている書店
文信堂書店に立ち寄りました。

そしたら……、
書店に入って一番目立つ場所に、
私の色紙があるではないですか!

2009年1月 長岡書店 007.JPG

2004年に、
新潟県、そして新潟近郊の温泉を紹介した『いい湯にであう。』を出版した際に、
書店さんに、ご挨拶まわりをしました。

出版社のニューズラインの担当編集者Hさんと
販売促進部のSさんの計らいで、
書店の店長さんと私とでポラロイド写真を撮り、
サインをした色紙にポラを貼り、
書店さんの販売促進に役立てて頂こうとという考えでした。
Hさん、Sさん、その節はありがとうございました。

今回の『だから混浴はやめられない』は、
新潮社から出版されているので、
まさか、
過去のこの色紙を飾っていてくださるとは知らずに、
びっくりしました。
4年前の色紙と一緒に、
朝日新聞に掲載された著者インタビューのコピーも飾られてありました。


この色紙を書いた時、
文信堂書店の代表取締役の方に、
「これからさ〜、
 山崎さんの本が出版されたら、
 全国の書店に平積みにされる、
 そんな書き手になってね。
 私達は応援していますよ!」
そんな風に声をかけてもらいました。

そして、さらに驚くことに……、
2009年1月 長岡書店1.JPG

出版して3ヵ月後に平積みにして頂いていること自体が、
すでにとても有難いことなのに、
なんと、五木寛之先生の本と並んで!
びっくりし過ぎて、
照れくさいやら、
ちょっと笑っちゃいました。(^^)
そして、うれし泣き。


そういえば、他の長岡の書店さんにも、
「長岡からこんな人が出たがらすけん、
 わたしら、長岡の書店組合みんなして、
 山崎さんを応援していこうって話しになってたがですてー」と
励まされました。


そんな書店さんたちが、
胸を張ってに店頭に置いて頂けます様に、
今も大切に本を書き進めています。

2008年11月04日

[ 私のこと ]

“新潟観光年”

明日は、
来年度の「JR東日本のディスティネーションキャンペーン」に
向けたプレイベントが新潟の朱鷺メッセで開催されます。

私は新潟県中越地震が起こるまで、
故郷の大切さを実感していなかったんだと思います。
故郷や大切な人たちが傷つく姿を目の当たりにして、
とても胸が痛みました。

けれども、それでもなお、
人に思いやりをもって、
優しいままの姿でいられた新潟の人たちに触れて、
郷土愛が深まりました。

震災からなんとか復興しつつも、
風評被害で新潟県への観光客が激減したと聞いて、
可愛がってもらっている温泉宿のご主人や女将さんを思い浮かべて、
私に何かできないかなーと考えました。

私はマスメディアの業界で生きている。
だから、注目されている今こそ、
新潟をPRしていこう!と、
業界内の知り合いや新潟出身の人たちを頼り、
雑誌や新聞、TVやラジオなどで
「新潟は復興しました!」と伝えてきました。

あれから年月が経ち……
来年は新潟観光年(私が命名)。
NHK大河ドラマ「天地人」の舞台となり、
国体の開催も新潟、
JR東日本のキャンペーンも新潟でと
来年は新潟が観光地として注目を浴びます。

明日は、そのためのプレイベント。
全国から旅行会社の方々が600人も集まるみたいです。
私はそこで温泉プレゼンターとして新潟の温泉の魅力を語ります。
震災以来、私が見てきた新潟の温泉や人たちをお話させて頂きます。
張り切ってま〜す。

高半1.JPG

高半2.JPG

上の2枚の写真は、
新潟県越後湯沢温泉「雪国の宿 高半」で保存されている
川端康成が『雪国』を執筆した「かすみの間」です。

明日の模様は、
また更新します!

もうまぶたがあかないので
おやすみなさい。

2008年09月16日

[ 私のこと ]

新潮新書 『だから混浴はやめられない』

来月、本が出ます。

10月17日発刊 新潮新書
『だから混浴はやめられない』
http://www.shinchosha.co.jp/shinsho/sokuho/

表紙画像.jpg


少し本書をご紹介させて頂きます。

『だから混浴はやめられない』は、
笑える混浴体験のエッセイをもとに、
「へ〜、実は、混浴ってそうだったんだー」
「あるある、俺も、私も、この経験ある!」と
時には納得、
時には読者に共感して頂けるような作りになっております。

実は、あまり知られていない混浴の実態を
あますところなく、私自身も楽しみながら書きました。

そして、第3章(40P分)の歴史を記した部分では、
出雲国風土記や豊後国風土記に出てくる混浴の描写、
日本で初の混浴禁止令を発した江戸時代のあの男の話、
幕末に外国人がやってきた時に外国人が見た日本の混浴風景、
日本の混浴を「野蛮!」と叫んだ外国人の話などなど、
混浴&温泉の豆知識が盛りだくさんです。


「温泉」、「混浴」というテーマは、
一服の清涼剤です。


お疲れ気味の皆さんの
“一服の清涼剤”を目指して1冊を綴りました。
世知辛い世の中、
こうした読物があってもいいなーという私の想いからです。


混浴画像.JPG
この写真は、
本の最後に書いたある出来事の風景です。


10月の半ばに書店に出ましたら、
お手にとって頂けましたら幸いです。


これをご覧のみなさまで、
ご興味がある方がいらっしゃいましたら
是非、媒体で取りあげてください。
インタビューなどの取材は、
喜んで受けさせていただきます。

2008年08月07日

[ 私のこと ]

私のルーツ“子宝の湯”

子供に恵まれなかった両親が、
長岡の実家から車で1時間ほどの
子宝の湯と名高い栃尾又温泉に通い
私が授かったと聞かされて育ちました。

当時は、混浴風呂だったそうです。
両親は仲良く混浴風呂に入ったのでしょうね。(^^)

そして数十年後、
私は再び、
「混浴」という世界に足を踏み入れ、
魅了されるわけです――。

と言うと、
「出来すぎた話だ」と言われることがありますが、
これがホントの話。

そして、
これが栃尾又温泉「自在館」。

栃尾又温泉 リサイズ1.jpg

栃尾又温泉 リサイズ2.jpg

栃尾又温泉 リサイズ3.jpg
残念ながら現在は混浴風呂はありません。
こちらのお風呂は自在館の貸切露天風呂。
自在館のHPはこちらです。
http://www.jizaikan.jp/

栃尾又温泉には栃尾又薬師堂があります。
境内には夫婦欅と子持杉があり、
「夫婦欅をくぐり、
子持杉をまたぐと子宝に恵まれる」
という言い伝えが今も残っています。
(両親も一生懸命にやったそうです)


そもそもお薬師様(薬師如来)とは、

衆生(しゅじょう)の病気を治し、
安楽を得させる仏。
仏教の伝来以降、治病の仏として広く信仰された。
(「スーパー大辞林」より)

とあるように、
古くからある温泉には薬師如来像が祭られていることが多いのです。
そうこの栃尾又温泉も開湯1200年、
新潟では最古の湯とも伝えられます。

源泉は37度前後。
「体温ほどの湯にじっくりと浸かることで
冷え性の私もあたたまってあなたが出来たんじゃないかしらね」
と母は言っております。

話はまだまだありますので、
栃尾又温泉の後編はまた明日。

おまけ。
そうそう、最近では大豆も栃尾又の湯で
湯治して納豆となっているようです。

栃尾又温泉納豆.JPG

2008年06月01日

[ 私のこと ]

温泉ライター10年を振り返る。

ママレモンさんの絵 2.JPG


温泉ライターを始めて、
丸10年になります。

私は、もともと物書きになりたくて、
大学を卒業後、OLとして勤めていた会社を飛び出して、
どこにも所属しないまま、
いきなり「フリーライター」の名刺をつくり、
フリーライターになってしまいました。

最初から「温泉」にテーマを絞って書き始めたわけでなく、
駆け出しの頃は『DIME』や『日経トレンディ』などで、
今おこっている現象のレポートなどを中心に、
色々なテーマで書いていました。

温泉と出会ったのは『BE−PAL』の連載からです。
(その時の話は、「私のこと」をご覧ください。)
BE−PALの連載後は、旅雑誌などで国内の温泉案内記事を書きました。

その後、
『週刊朝日』のグラビアで「アジアの温泉極楽紀行」の連載をしたことにより、
世界中に湧く温泉の面白さに目覚め、
『週刊文春』や『週刊ポスト』などの週刊誌のグラビアで、
世界の温泉を紹介してきました。

今は、『オール読物』で文士が愛した温泉というテーマで書いたり、
本の執筆などをしてます。

紙媒体とともに、映像媒体でも仕事をしてきました。
映像デビューはかれこれ8年前、
『ちちんぷいぷい』(毎日放送・関西の方ならご存知ですよね!)でした。
その後は、『ニュースの森』(TBS)でもお世話になり、
『王様のブランチ』(TBS)には定期的に2年以上出演させてもらいましたし、
ここ数年だと、『ラジかるッ』(日テレ)や『ズームイン』(日テレ)、
今はレギュラーで『朝はビタミン』(テレビ東京)に出させてもらっています。
CSの『旅チャンネル』で自分の名前の冠番組を持たせてもらったこと、
そして自分の企画で、スタッフとともに番組を作らせて頂いたことも、
私が映像の仕事も積極的にしたいと思う大きなきっかけでした。

今年の初頭、国土交通省から
「YOKOSO!JAPAN 大使」に任命して頂いたことも、
私にとっては大きな転機で、
今は、日本の温泉文化を外国に紹介する活動にも精を出しています。

そして、
これからも紙媒体と映像媒体の両立、
その相乗効果を目指して、
頑張っていきたいと思っています。

こうして考えると、
あっという間の10年でしたが……、
色々とやってきたなーとしみじみ。(^^)

と、またまた前置きが長くなりました。(^^;)
これからが本編です。

これまで、
一人でやってきたわけじゃありません。
私はフリーランスでどこの媒体にも所属していませんので、
多くの方の期待とご好意に支えられて、
ようやく活動ができます。

私とお仕事をして下さったみなさんに感謝しながらも、
そんな私をずっと見守ってくれた読者も、
とても有難い存在なのです。
応援メッセージが、
私にとって何よりものエネルギー源でした。

私の応援サイトをご存知でしょうか。
http://members.at.infoseek.co.jp/tinnbotutai/mayumi-index.htm

このサイトの管理人のママレモン加藤さんに
初めて出会った時に、
「まゆみさん、HPないんですか?
 あるといいのに、僕がつくりましょうか」
と、ご好意から始まった応援サイト。

2000年に立ち上げ、
それからずっと温かく見守ってくれた読者の皆さん、
なかでもサイトを立ち上げ、
管理もしてくださっていますママレモン加藤さんに、
心から感謝しております。

上の写真は、ママレモン加藤さんが、
私の温泉ライターの10周年記念にと描いて下さった絵です。
私が温泉に浸かっている幸せそうな絵なのですが、
実物よりも、ずっと可愛い。

これを頂いた時、すごく嬉しかった。
ずっと見ていてくれたママレモンさんの気持ちに感無量で、
胸があつくまりました。ほろり。
今は、私の仕事机にあります。

みなさんのご好意を心して、
10年にして、
初心に戻り頑張っていきます!

応援して下さる皆様に、
心より感謝をこめて      山崎まゆみ

2007年09月11日

[ 私のこと ]

温泉稼業のはじまり

今日は小学館の雑誌『DIME』の座談会に出席してきました。
私にとって懐かしい雑誌。

ちょうど10年前、物書きになりたくて、当時、勤めていた会社を辞め、OL生活からいきなりフリーランスのライターになった。まだライターの仕事の経験なんてほとんどなかったのに、いろんな雑誌に、「ライターです」と電話をしてはお仕事を頂いた。けれどもそんなに簡単に仕事にありつけるほど甘いものではなく、苦い経験もある。それでも、拾ってくれる人とはいるもので、最初に拾ってもらったのが『DIME』だった。

本当に駆け出しのライターで、なんでもやります、がんばります、といった気持ちでとにかく必死だった。

仕事を始めてしばらくして、拾ってもらったDIMEの編集者とご飯を食べている時に、「私、大失恋したばかりで……」なんて、お酒の席で話してしまったのが運の尽き(!?)、いえ、これが幸運なライター人生の始まりで、数日後に、「君は“失恋記者”だ」と言われ、失恋記者として誌面に出て書く仕事を与えられた。(要は、ひとつの物事を紹介するのに、読者に面白がってもらえるようにと、キャラクターをたてて、キャラクターが案内するという企画。)ちなみに失恋記者時代の原稿の書き出しは、「私の心はブルー。」から始まるもので、失恋にも負けずに明日を目指す痛い女のキャラクターだった。ま、本当に大失恋したばかりだったので、作りでも何でもなく、地でゆくキャラクターだった。(笑) 余談だが、編集者からキャラクターを立てて書くという参考になるからと「不肖・宮嶋」(http://www.fushou-miyajima.com)シリーズの本を与えられ、抱腹絶倒しながら読んだものの、失恋記者の記事にはあまり参考にならなかった。(^^;)

ライターを始めた頃は、まさか、自分が雑誌に出るなんて思ってもみなかったし、どちらかと言えば写真は撮る方が好きだったから、写真に撮られることが、とんでもなく苦痛で。編集者に「表情がかたい。鏡の前でニコパチ(笑顔)の練習をしろ」と言われ、本当に鏡の前で朝晩笑った。だが、今でも「写真の表情がかたい」とお叱りをうけることがあり、未だ勉強中だ。

何度かやらせてもらった失恋記者シリーズを見た、当時、DIMEの隣に編集部があった『BE−PAL』の元編集長に、「君、脱げる?」(ま、これは大げさですが。^^;)なんて、聞かれて、「喜んで!」と、BE−PALの「混浴美女秘湯巡り」の連載がはじまり、今度は、“混浴美女”というキャラクターを与えて頂き、全国の混浴温泉を訪ね、出逢った人とのエピソードを写真を交えて記す企画を4年3ヶ月やった。この仕事で温泉というテーマに出逢う。初めは編集者から授けて頂いたテーマだが、今は、「温泉」ほど書くのに素晴らしい舞台はないと思っている。

こうした編集者との出会い、
そして多くの方に支え、応援して頂きながら今がある。
どこにも足を向けて寝られず、立って寝るしかない。
「本当にありがとうございます」。

今日は神保町を歩きながら、
この10年をしみじみと思い出してしまいました。
“初心忘るべからず”ですね。(^^)

そうそう、座談会の内容ですが、それはトレンド情報誌の企画だけに内緒です。もちろん私は温泉についてお話をさせて頂きました。
10月2日発売だそうです。

2007年08月30日

[ 私のこと ]

今日はなんの日?

今日は我が誕生日。(^^)

幼少の写真.JPG

特別なことをするわけでもなく、
普通に起きて、普通にご飯を食べて、普通に仕事をして、
なんともない一日ですが、
この何ら変わったことのない一日を過ごせることこそ
幸せだなーなんて、しみじみ。

8月は、通常の仕事をしながら
書き下ろしの本の原稿を書いていました。
まだまだ、あとふた頑張りくらいかな。
こうして発表の場を与えて頂けるのは、
やっぱり何より嬉しいことなので、
気合を入れないと!
バシバシ(気合の音です・笑)

健康な身体で、
仕事さえしていられれば幸せなのかもしれないなー、私、
なんて、誕生日にしみじみ思うのでした。

いくつになったかは、聞かないで下さい。(笑)
内緒です。

さてさて、今月に新潟で取材をしたものは、
おいおい書いて発表していきます。
掲載時期がきましたらその都度、こちらでご報告します。

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