DIARY 日記・エッセイ

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2007年02月01日

[ お知らせ ]

ご冥福をお祈り致します。

私が今の「温泉ライター」になるきっかけとなった連載、
「混浴美女秘湯めぐり」が『BE−PAL』誌面でスタートしたのが1998年12月。

当時、私はフリーライターになって駆け出しの頃で、
温泉の撮影にも取材にも、全くといっていいほど慣れていませんでした。
そんな私と、連載がスタートした時から一緒に旅をし、
2003年2月の連載終了時までの約8割を撮影して下さったのが、
写真家の西脇要さんでした。

西脇さんとは、本当に日本各地をよく旅しました。
北は知床から、南は鹿児島県の硫黄島まで。
真冬の2月、北海道の芽登温泉へ行った時には、
道が凍結し、乗車していた車が横転しそうになりました。
早春の頃に栃木県の三斗小屋温泉へ行った時には、
山道に迷い、チョコレートを分け合いながら下山をしてきました。
文字通り、苦楽をともにしてきた、
私にとってかけがえのない写真家でした。

もちろん、当時の編集長や担当編集者が支えて下り、
読者がいて下さったからこそ企画が成立していたわけです。
しかし、あの連載が4年3ヶ月も続いたのは、
西脇要さんのアーチストとしての写真の力が大きかったからだと、
私は思っています。

実は、2002年の初夏、西脇さんは病で倒れられ、
ここ数年、闘病生活を強いられてきました。
一度は、復帰を果たされ、写真を撮られていたのですが……。
昨年末に再発。
そして、今年の1月10日、西脇さんはお亡くなりになりました。
1月13日、告別式へ行って来ました。
告別式には、闘病日誌があり、
そこには、私へのメッセージが遺されていました。

本当は、もっと早くに、こちらでお知らせするべきでした。
しかし、どうしても気持ちが整理出来ずに、言葉になりませんでした。
ご報告が遅くなってしまいましたことをお詫び申し上げます。

先週末、仕事で新潟に帰りました。
故郷の慣れ親しんだ雪景色に触れて、
越後湯沢温泉の友人達とたわいもない話をして、
ようやく、今、お知らせすることができるようになりました。

西脇さんのお写真は、みた者の心に残る写真ばかりでした。
西脇さんは、カメラを手にしている時が一番、輝いていました。
もっともっと、写真を撮りたかっただろうに……。
悔やまれます。

こうして命がある今、
しっかりと時を過ごさなければいけないな。
西脇さんに恥ずかしくない仕事をしなければいけない。
今は、ただただそう思うばかりです。

西脇要さんのご冥福をお祈り致します。

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